目次

パスワードの時代は終わり?パスキーが変える認証の未来

私たちは毎日、何十ものパスワードに囲まれて生活しています。銀行のオンラインバンキング、ショッピングサイト、SNS、メール...。しかし、このパスワード中心の認証システムには、もはや限界が来ています。

パスワードの3大問題

1. 忘れる問題
複雑なパスワードを複数覚えるのは人間には不可能です。結果として、多くの人が同じパスワードを使い回したり、簡単なパスワードを設定したりしています。

2. 漏れる問題
企業のデータ漏洩事件は後を絶ちません。パスワードがハッシュ化されていても、解読される可能性は常に存在します。

3. 面倒な問題
パスワードの入力、定期的な変更、二段階認証の設定など、セキュリティを保つための作業は非常に煩雑です。

「パスワードレス認証」という解決策

これらの問題を根本的に解決するのが「パスワードレス認証」です。文字通り、パスワードを使わない認証方式のことで、その中核技術がパスキーなのです。

FIDO Alliance(Fast IDentity Online Alliance)1は、パスワードレス認証の標準化を推進する国際団体で、「パスワードへの依存を減らし、より安全で使いやすい認証方法を世界に普及させる」ことを使命としています。

パスキーがもたらす世界では、指紋や顔認証だけでWebサイトやアプリにログインでき、しかもパスワードよりもはるかに安全です。それでは、このパスキーとは一体何なのでしょうか?


パスキーってなに?基本をやさしく解説

パスキーとは何か

パスキー(Passkey)とは、W3C(World Wide Web Consortium)が策定したWebAuthn標準2に基づく新しい認証方式です。従来のパスワードに代わる「デジタルな身分証明書」と考えるとわかりやすいでしょう。

従来のパスワードが「知識」(覚えているもの)による認証だったのに対し、パスキーは「所有」(持っているもの)と「生体情報」(あなた自身)による認証を組み合わせています。

パスワードとパスキーの決定的な違い

項目 パスワード パスキー
記憶の必要性 覚える必要がある 覚える必要がない
入力作業 手動で入力 生体認証のみ
セキュリティ 漏洩・推測のリスク 暗号学的に安全
フィッシング耐性 騙される可能性 技術的に不可能
デバイス間共有 手動で共有 自動同期

なぜパスキーの方が安全なのか

パスキーの安全性は、公開鍵暗号方式という数学的に証明された暗号技術に基づいています3

身近な例で説明すると:

  • パスワード:金庫のダイヤル式ロック(番号を知っていれば誰でも開けられる)
  • パスキー:指紋認証式の金庫(あなた以外は物理的に開けることができない)

Google Developers4によると、パスキーは「フィッシング攻撃に対して耐性がある」と明記されており、これは暗号学的な仕組みによって特定のWebサイトやアプリにのみ動作するように設計されているためです。


パスキー認証を支える技術の仕組み

公開鍵暗号の基本:「2つの鍵」の仕組み

パスキーの心臓部は公開鍵暗号方式です。これは1970年代に開発された暗号技術で、2つの鍵を使います:

秘密鍵(Private Key)

  • あなたのデバイス(スマホ・PC)の中にのみ存在
  • 絶対に外部に出ることはない
  • 生体認証(指紋・顔・PIN)で保護されている

公開鍵(Public Key)

  • Webサイトのサーバーに保存される
  • 盗まれても問題ない(暗号化にのみ使用)
  • 秘密鍵とペアでのみ機能する

生体認証との連携

W3C WebAuthn仕様2では、「ユーザー認証」として以下の方法が規定されています:

  • 指紋認証:Touch ID、指紋センサー
  • 顔認証:Face ID、Windows Hello
  • 音声認証:一部のデバイス
  • PIN/パターン:バックアップ認証手段

重要なのは、Googleの公式文書4にあるように「生体情報は決してユーザーの個人デバイスから離れることはない」という点です。指紋や顔のデータがインターネットに送信されることは一切ありません。

パスキー認証を支える技術標準

パスキーはFIDO2という包括的な標準仕様に基づいて動作しています。FIDO Alliance1が策定したFIDO2は、以下の2つの技術標準で構成されています:

WebAuthn(Web Authentication)
W3Cが策定したWeb標準2で、ブラウザとWebサイト間の安全な認証プロトコルです。主な機能:

  • 認証器(デバイス)の登録と認証
  • 公開鍵ベースの暗号化通信
  • オリジン(Webサイト)ごとのクレデンシャル分離

CTAP2(Client to Authenticator Protocol version 2)
FIDO Allianceが策定したプロトコル5で、クライアント(ブラウザ・アプリ)と認証器(デバイス)間の通信方法を定義します。

対応トランスポート5

  • USB HID(Human Interface Device):物理的なセキュリティキー
  • NFC(Near Field Communication):近距離無線通信
  • Bluetooth Low Energy(BLE):ワイヤレス認証器、クロスデバイス認証

クロスデバイス認証とは、パソコンでWebサイトを開きながら、スマートフォンで認証を行う機能です。この際、Bluetooth Low Energy(BLE)が重要な役割を果たします7。BLE接続により両デバイスが物理的に近くにあることを確認し、セキュリティを向上させる仕組みです。

デバイス間でのパスキー同期の仕組み

各プラットフォームベンダーは、独自の同期システムを提供しています:

Apple:iCloud Keychain

  • エンドツーエンド暗号化でパスキーを同期
  • 同じApple IDでサインインしたデバイス間で共有

Google:Google Password Manager
Google4によると、パスキーは「デバイス上で安全に暗号化されてから同期される」仕組みで、同じGoogleアカウントでサインインしたAndroidデバイスとChromeブラウザ間で共有されます。

Microsoft:Microsoft Authenticator
Microsoft6の実装では、Microsoft Authenticatorアプリを通じてパスキーを管理し、複数のデバイス間で同期できます。


パスキーのメリットと注意点

圧倒的なメリット

1. パスワードを覚える・入力する必要がない
WebAuthn仕様2により、認証は完全に暗号学的な仕組みで行われます。複雑なパスワードを覚える必要は一切ありません。

2. フィッシング詐欺に引っかからない
Google4とMicrosoft6の両方が明記しているように、パスキーは技術的にフィッシング攻撃に対して耐性があります。これは、パスキーが特定のドメイン(Webサイト)にのみ動作するよう暗号学的に結び付けられているためです。

3. データ漏洩があっても被害を受けない
サーバーに保存されるのは公開鍵のみで、この情報が盗まれても何の役にも立ちません。秘密鍵はあなたのデバイスから外に出ることはありません。

4. 複数デバイスで自動同期

  • Apple:iCloud Keychainで同一Apple ID間で同期
  • Google4:Google Password Managerで同一Googleアカウント間で同期
  • Microsoft6:Microsoft Authenticatorで複数デバイス間で同期

知っておきたい注意点

1. まだ対応していないサービスがある
2024年現在、パスキーに対応しているのは主要なサービスの一部に限られています。ただし、WebAuthn標準2の普及により、対応サービスは急速に増加しています。

2. デバイス紛失時のリスクと対策
デバイスを失くした場合のリカバリー方法:

  • Apple:他のAppleデバイスからiCloud Keychainでアクセス
  • Google4:他のサインイン済みデバイスからアクセス
  • Microsoft6:Microsoft Authenticatorの他のインスタンスからアクセス

3. バックアップの重要性
各プラットフォームの推奨事項:

  • 複数のデバイスでパスキーを有効化
  • プラットフォーム固有のバックアップ機能を活用
  • 緊急時用の別の認証方法を併用

困ったときはこれで解決!よくある質問

Q1: スマホを機種変更・紛失したらどうする?

回答: 心配いりません。各プラットフォームの同期機能で解決できます。

  • Apple:新しいiPhoneで同じApple IDにサインインすれば、iCloud Keychainから自動的にパスキーが復元されます
  • Google4:新しいAndroidデバイスで同じGoogleアカウントにサインインすれば、Google Password Managerからパスキーが同期されます
  • Microsoft6:Microsoft Authenticatorアプリを新しいデバイスにインストールし、同じMicrosoftアカウントでサインインすれば復元可能です

Q2: パスキーが効かないときの対処法

一般的な原因と解決法:

  1. ブラウザが対応していない → Chrome、Safari、Edge、Firefoxの最新版を使用
  2. Webサイトが対応していない → サイトのヘルプページで対応状況を確認
  3. デバイスの生体認証が無効 → 設定から指紋・顔認証を有効化

Q3: 家族とのアカウント共有は可能?

回答: パスキーは個人の生体情報と結びついているため、直接的な共有はできません。ただし、以下の方法で対応できます:

  • 家族それぞれがパスキーを設定する
  • 共有アカウントには従来のパスワード認証を併用する
  • Apple Familyなどの家族共有サービスを活用する

Q4: パスワードマネージャーとの使い分け

推奨の使い分け:

  • パスキー対応サイト → パスキーを優先使用
  • 未対応サイト → パスワードマネージャーを継続使用
  • 移行期間 → 両方を併用しながら段階的にパスキーに移行

Q5: 古いデバイスでは使えない?

対応状況:

  • iOS:iOS 16以降でパスキー対応
  • Android:Android 9以降で対応(Google Play開発者サービス経由)
  • Windows:Windows 10/11のWindows Hello対応
  • macOS:macOS Ventura以降で完全対応

パスキーの普及状況と今後の展望

主要企業の対応状況

技術プラットフォーム企業:

  • Google4:2022年からAndroidとChromeでパスキー対応開始、Google Password Managerに統合
  • Apple:2022年iOS 16でパスキー対応、iCloud Keychainで同期機能提供
  • Microsoft6:Windows Hello、Microsoft Authenticator、Azure Active Directoryでパスワードレス認証推進

主要Webサービス:

  • Google:Googleアカウントでパスキー利用可能
  • Microsoft:Microsoftアカウントでパスキー対応
  • Adobe:Adobe IDでパスキー対応開始
  • PayPal:パスキー対応を段階的に展開

日本企業での導入事例

現在、日本でも金融機関やECサイトを中心にパスキー対応が始まっています。具体的な導入事例は各企業から順次発表される予定です。

2024年以降の普及予測

FIDO Alliance1の推進により、以下の傾向が予想されます:

短期(2024-2025年)

  • 主要Webサービスでのパスキー対応加速
  • 企業向けIDプロバイダーでの対応拡大
  • 金融サービスでの本格導入開始

中長期(2026年以降)

  • 政府・公的サービスでの採用
  • IoTデバイスでのパスキー活用
  • 完全パスワードレス環境の実現

完全パスワードレス社会への道のり

W3C WebAuthn標準2とFIDO2仕様1の普及により、以下のマイルストーンが期待されます:

  1. 標準化の完了:主要ブラウザでの完全対応
  2. エコシステムの構築:デバイス・サービス間の相互運用性確立
  3. ユーザー教育:パスキーの概念と利点の一般認知向上
  4. レガシーシステムの移行:既存パスワードシステムからの段階的移行

もっと深く学びたい方へ

パスキーの基本が理解できたら、より専門的な知識を学んでみませんか?

📚 専門書のご紹介

パスキーのすべて ── 導入・UX設計・実装』は、パスキーの技術的詳細から実装方法、セキュリティ考察まで網羅した決定版です。この記事で基礎を学んだ後、開発者やIT担当者としてさらに深い知識を身につけたい方に最適な一冊です。

👉 Amazonで詳細をチェック

今後の学習ステップ

技術者向けリソース:

  1. W3C WebAuthn仕様書2:認証プロトコルの詳細仕様
  2. FIDO Alliance公式ドキュメント1:FIDO2とCTAP2の技術仕様
  3. 各プラットフォーム開発者ガイド
    • Google Developers4:パスキー実装ガイド
    • Apple Developer:Authentication Services
    • Microsoft Learn6:パスワードレス認証ガイド

最新情報の入手先:

  • FIDO Alliance公式サイト
  • W3C WebAuthn Working Group
  • 各プラットフォームベンダーの技術ブログ

まとめ

パスキーは、私たちを長年悩ませてきたパスワードの問題を根本的に解決する革新的な技術です。W3C WebAuthn標準2とFIDO Alliance1の推進により、安全で使いやすい認証の未来が現実のものとなっています。

今日からあなたも、指紋や顔認証だけで安全にログインできる、パスワードレスな世界の扉を開いてみませんか?


出典・参考文献

  1. FIDO Alliance公式サイト:https://fidoalliance.org/fido2/
  2. W3C WebAuthn仕様書:https://www.w3.org/TR/webauthn-3/
  3. W3C WebAuthn仕様書 - 公開鍵暗号に関する記述:https://www.w3.org/TR/webauthn-3/
  4. Google Developers - パスキーガイド:https://developers.google.com/identity/passkeys
  5. FIDO Alliance CTAP2仕様書:https://fidoalliance.org/specs/fido-v2.1-ps-20210615/fido-client-to-authenticator-protocol-v2.1-ps-20210615.html
  6. Microsoft Learn - パスワードレス認証:https://learn.microsoft.com/en-us/entra/identity/authentication/concept-authentication-passwordless
  7. FIDO Alliance - クロスデバイス認証とBLE近接性に関する技術仕様(Web検索結果より)